陽だまりの彼女ネタバレ 映画と原作小説のラストや結末の違い

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5月6日の金曜ロードショーでテレビの地上波で初放送された映画『陽だまりの彼女』のネタバレ。

松潤と上野樹里の映画『陽だまりの彼女』と越谷オサムの原作小説のラストやあらすじ、結末の違いなど。

「女子が男子に読んでほしい恋愛小説No.1」の帯で話題になった2011年の越谷オサムの原作小説『陽だまりの彼女』。それを三木孝浩監督と小川真司がタッグを組み映画化した映画のキャッチコピーは、「最初で最後の恋(うそ)だった。」

主演は『花より男子ファイナル』以来5年ぶりの映画出演となる松本潤。多分松潤史上最高にドン臭い主人公・奥田浩介(おくだこうすけ)役。

ヒロインの渡来真緒(わたらいまお)役は『のだめカンタービレ 最終楽章 後編』以来3年ぶりの映画出演となる上野樹里。松潤と上野樹里の共演は初。

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『陽だまりの彼女』映画と原作小説共通のあらすじ

映画と原作小説に共通のあらすじはおおむね次の通り。

交通広告代理店の営業マン奥田浩介(松本潤)が、営業先で中学時代の同級生、渡来真緒(上野樹里)と再会するところから始まる。

渡来真緒(中学時代は葵わかな)は性格クソブス女の潮田(うしおだ)を中心したクラスのブス女共からいじめにあっていた。しかし潮田が真緒の髪の毛にマーガリンを塗ったのを見た浩介(中学時代は北村匠海)は真緒をかばって潮田の顔にマーガリンを塗り返す。

その件をきっかけに浩介と真緒は急速に仲良くなっていき、銀杏公園で2人はファーストキス。キス以降はぎこちなくなってしまった童貞にありがちな浩介。浩介はそのまま引っ越して真緒とはお別れになっていた。

そんな真緒が、きれいで仕事もできる女に成長していた。仕事のやりとりを続けるうち、いつからか付き合うようになった2人。浩介の両親に真緒を紹介すると大歓迎されるが、渡来家では真緒の父親(養父)から強く反対される。

原作小説の鍵ビーチボーイズ素敵じゃないか(Wouldn’t It Be Nice)

真緒は「全生活史健忘」であると話し、13歳までの記憶がまったくないのだという。ショックを受けたものの、あいかわらずのクソゴミブス女潮田との再会のおかげで浩介は今の真緒が大切だと再認識し駆け落ちも同然に結婚。新居で新生活を始める。ごきげんな真緒が口ずさむのはビーチボーイズ『素敵じゃないか(Wouldn’t It Be Nice)』

しあわせな日々を送っていたものの、真緒は髪の毛が大量に抜けたり、指輪のサイズがぶかぶかになるほど痩せ始めたりと、体調の変化が現れる。心配した浩介は病院に連れて行き検査を受けさせるが、結果は異常なし。

実はこのあたりの展開は、越谷オサムの原作小説では、一時期流行った『世界の中心で、愛をさけぶ』を思わせるような、ありがちな恋人の発病や死別展開を読者に予感させるミスリードを狙っているものと思われる。

2人が病院から帰ると隣の部屋のベランダから子供が落ちそうになっており、もうダメだと思ったとき危機一髪で階下から真緒が飛び出して空中で子供を受け止めて無傷で着地。ブラボー!!!!

その後真緒は姿を消してしまう。真緒の行方を探しても誰も真緒の存在を覚えていない。

この辺くらいまでが映画『陽だまりの彼女』と原作小説に共通するあらすじ


陽だまりの彼女 スタンダード・エディション

映画『陽だまりの彼女』と原作小説のあらすじの違い

映画『陽だまりの彼女』と原作小説のあらすじが大きく異なるのは結末やラストシーンに関しての部分。

だがいいとか悪いとかは抜きにして、映画と小説と媒体が異なれば、主人公やヒロインの設定や全体的な雰囲気が違ってくるのは避けられない。もちろん細かい違いならいくらでもあるが、主な設定や演出の違いをいくつか挙げてみる。

原作だとさえない主人公・奥田浩介を松潤が演じる無茶

原作小説の奥田浩介はモテないさえないドン臭い男で、それが猫の恩返し的な逆玉展開で素敵な女性に成長した真緒に愛される話なんだけど、映画だと何しろ奥田浩介役が松潤。

たしかに役作りの上ではちょっとさえない感じの受身的な男っていう設定だし、松潤のそういう演技も新鮮だし努力してるのもわかるんだけど、いかんせんなにしろ天下の嵐・松潤、さえない男を演じるっていっても見た目からしてそんなイケメンじゃどうしても無理がある。

ていうかその顔でさえない男役とかもはや嫌味ですらあるからな!…って感じすら漂ってたりするわけですが、でもまあだからといってほんとにさえない風貌の俳優で映画化したって誰も喜ばないしヒットもしないわけじゃないですか。

まあ映画もビジネスだから当たり前の話だし、男ならともかく松潤観たさにお金出して映画を観に行く女性客が主なターゲットなわけだから結果オーライ、それに松潤のこういう役も新鮮だから結果オーライとしましょうオーケーイ!

映画『陽だまりの彼女』松潤と上野樹里

映画だと真緒の正体が猫なのが伏線なしにバレバレ

原作小説だとうまい具合に落ちになっている真緒の正体が猫という『陽だまりの彼女』の核心的なネタバレが、映画だとかなり早い段階からバレバレ。

原作は途中まで普通の恋愛小説だし、解釈のしようによっては真緒が100%猫だとも言い切れない余地を残しているのに対し、映画はいかにもファンタジーものの邦画。

これは映画の脚本が下手くそとかそういうことではなく、物語のファンタジー要素のほうに特化する道を選んだ結果だと思われます。というか、真緒が実は猫であるという設定ありきで作っているから伏線というほどのこともなく序盤からバレバレ。

浩介が昔猫につけてたお守りを真緒が持っていたと渡されるとか、落下する子供を3階でキャッチして無傷で着地するとか、そういう決定的な傍証を待つまでもなく猫!

浩介からしたらまさかそんなふうには思わなかったり疑惑くらいのものだとしても、映画を観ている側の視点だとかなり早い段階からむしろ真緒はどこからどう見ても猫前提くらいの勢いで猫!でも猫っぽい上野樹里かわいいから結果オーライとしましょうオーケーイ!

金魚のブライアンを真緒が貪り食べるシーンがない

映画だとさすがにグロくなるからか、金魚のブライアンがいなくなってしまったシーンの描写と「お前、ブライアン食ったろ」「ごめん(てへぺろ☆彡)」のやりとりはありますが、真緒が新居の水槽で飼っていた金魚のブライアンを我慢できずにバリバリと音を立ててむさぼり食べてしまうシーンはカットされています。

…あれ?てかそんなグロいシーンは原作小説にもありましたっけ?(ねえよ)

あとそれから夏木マリ演じる猫ババアの魔女のおばあさんが浩介の体を3日3晩好きにしてもいい代償に真緒に魔法をかけて真緒を猫から永遠に人間に変えてあげるシーンも映画にも原作小説にもありませんでした。

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映画『陽だまりの彼女』と原作小説のラスト(結末)の違い

映画『陽だまりの彼女』と原作小説のラスト(結末)の違いについて。まずは原作小説のラストから

『陽だまりの彼女』原作小説のラストシーンと結末

原作小説のラストは、真緒を失った悲しみに立ち直れない浩介は仕事も手につかない。しかしある日、偶然真緒の両親(育ての親)に再会し、浩介のことは覚えてないものの、会話の中で夫婦が最近「まお」という名前の子猫を飼いはじめたことを知る。

ようやくそこで浩介は真緒が猫である可能性に思い当たり、本屋で猫の生態を調べ、水槽の金魚を我慢できずに食べてしまったり、死期を悟ると姿を消す行動など、真緒の性格や行動、仕草、寿命などのすべてが猫に当てはまることを確認する。

CDショップでアルバムを買い、真緒がいつも口ずさんでいたビーチボーイズの『素敵じゃないか(Wouldn’t It Be Nice)』の歌詞カードを見ると、それは真緒と浩介の結婚生活そのままだった。

そして帰り道、浩介の足元に真緒にプレゼントした指輪をぶら下げたネックレスをつけた灰色の子猫が寄ってくる…という実に余韻に満ちた結末。


素敵じゃないか [ ビーチ・ボーイズ ]

映画『陽だまりの彼女』のラストシーンと結末

それに対して映画のラストは、誰も真緒を覚えていないので猫屋敷の猫ばあさん(大下)に会い、浩介に助けられた猫が人間になりたがっていた話を聞く。

猫を助けた場所へ向かうと、そこで真緒を発見。自転車の2人乗りをしたり思い出の中学校へ行ったりと残された時間を過ごした2人は、最後に中学時代にファーストキスをした銀杏公園のジャングルジムの前でキスをする。

ここでの二人の会話がこの映画最高の感動シーン。「今度生まれ変わっても、また浩介を見つける気がする」の真緒のセリフは、まさに嵐の『MONSTER』の「生まれ変わってもまた君を探す」を思わせて泣ける…

浩介が朝目覚めると弟の翔太(菅田将暉)と暮らしており、真緒と出会う前の生活に戻り、真緒のことも記憶からなくしている。

街中で偶然真緒の両親と会うも、父親も一瞬浩介の顔に何かを感じるが、気のせいだと思い直してそのまま別れる。

職場の飲み会に参加した際、店で流れているビーチボーイズの「素敵じゃないか(Wouldn’t It Be Nice)」を聴いて自然に涙がこぼれる浩介。

ある日、公園を歩いていた浩介のもとに、灰色の猫が寄ってくる。撫でてやると、「猫…お好きなんですか?」と飼い主の真緒が声をかけてくる…というラスト。

原作では浩介の記憶の中で真緒は生き続けるが映画では忘れ去られる

映画『陽だまりの彼女』と原作小説のラスト(結末)の最大の違いは、原作小説では浩介以外のすべての人の記憶から真緒の記憶が失われてしまうものの、浩介の記憶の中では真緒と一緒に過ごし、ともに暮らした日々の思い出は残り続けているのに対し、映画では浩介の記憶からさえ真緒の記憶は失われてしまう点。

原作小説では浩介の思い出の中では今でも真緒との日々が強く残っているからこそ、真緒がビーチボーイズの『素敵じゃないか(Wouldn’t It Be Nice)』の歌詞そのままの生活を浩介と夢見ていたことがわかるシーンで切なさが痛いほどに胸に迫り、深い喪失感の中にも指輪のネックレスをかけた子猫が寄ってくるラストシーンでは「もしかして…」という余韻を感じさせる。

映画では浩介の思い出の中ですら真緒の記憶は失われてしまっており、そこに成長した姿そのままの真緒が現れたからといって浩介にとってどれほどの意味があるのかは疑問。ただ映画を観ている大半の人にとっては、浩介から真緒の記憶が失われたことなんてどうでもよくて、「また会えてよかったね!」くらいのものなのかもしれない。

映画のラストシーンで真緒が子供じゃなくて上野樹里だった矛盾

余韻に満ちた上質なファンタジーを思わせる原作小説の結末に対して、映画のラストシーンはいかにもお約束的でご都合主義的なラスト。だって、なんで生まれ変わってもまた浩介を見つけるって話してたのに、速攻再会した頃の上野樹里の状態にまで真緒が育ってるのか完全に謎。

謎というかそれは単に映画の矛盾なわけですが、そういうこと言ってると完全にモテないので、彼女や奥さんと映画『陽だまりの彼女』を一緒に観た男性は、絶対にそんな矛盾点や疑問について奥さんや彼女に対して口にしてはいけません!

これはマジで嫌われます!下手したらケンカになるし、最悪別れ話や離婚といった悲劇的な結末にもつながりかねません。

女性が望んでいるのは自分が感動して美しい涙を流した映画を、伴侶であるあなたもなんなら共に涙を流して「感動した」と言って観てくれることであり、仮に感動したとしても「でもあのラストはおかしいよね?」なんて矛盾点を指摘したりしようものなら、「私が感動した映画に水を差すなんて最低!」といって怒られます!振られます!気をつけてください。

以上、映画『陽だまりの彼女』を彼女や奥さんと一緒に観た男性が彼女や奥さんから怒られたり嫌われたりしないための注意点でした。

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